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前田町について


前田町の地勢


 前田町は横浜市の南部、戸塚区のやや北よりに位置する、面積0.521平方q(平成17年10月1日国勢調査数値)の町です。最寄り駅はJR横須賀線・湘南新宿ラインの東戸塚駅になります。町の東側を南北にJR東海道線・横須賀線・東海道貨物線が走り、国道1号線および旧東海道が町の南側を通っています。緯度経度表示では、北緯35度25分16〜37秒、東経139度32分50〜33分24秒にあたります。
 地勢は北側の高台から南東側に傾斜しており、国道1号線が平戸永谷川(柏尾川の源流の一つ)を渡る赤関橋付近にいたります。全体としてなだらかな南東向きの丘陵地であり、東戸塚駅開業以降急速に宅地化が進んだのはこのような良好な地形にもよるところが大と思われます。


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 地目は住宅地が主であり、中低層の集合住宅を含めた住宅地となっています。


前田町の人口

 前田町の人口推移は以下の通りです。この9年で、46%人口が増加したことになります。これは、横須賀線に加え、湘南新宿ラインの開通により交通の便利性が高まったことにより、マンションなどの住宅開発が急速に進んだことによるものです。
年月日 世帯数 人口
総数
平成24(2012)年3月31日 3,408 8,542 4,291 4,251
平成20(2008)年3月31日 2,449 6,034 3,120 2,914
平成15(2003)年3月31日 2,330 5,836 3,045 2,791
平成10(1998)年3月31日 2,131 5,583 2,918 2,665
   
 参考文献 横浜市企画局政策部統計解析課 平成12年 「横浜市人口のあゆみ2000」
                        横浜市企画局 
        横浜市ホームページ 「横浜市統計ポータルサイト戸塚区町丁別インデックス」
            http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/cyocyo-totsuka.html
                        平成24年4月15日現在

前田町の歴史 (書きかけ項目です)

横浜から横須賀線に乗って、東戸塚に近づくとトンネルがあり、それが旧国名でいうところの、武蔵の国と相模の国の国境であることは比較的有名です。東戸塚はもちろん相模の国です。

しかし、前田町が昔は鎌倉郡だったということはあまり知られていないのかもしれません。


前田町に関しての近世以前の記録は、前田町の前身にあたる前山田村と後山田村について、天正元年(1573年)にそれまでの相模国鎌倉郡永谷郷(ナガヤゴウ)の山田村であったものを、両村に分割したとの記載があります。

さらに慶安年間に旗本の新見彦左エ門の支配下におかれ、その後代々新見氏が統治したようです。江戸末期にはこの新見氏最後の当主正興が、海外へ渡っており、比較的有名な話のようです。

海を渡ったお殿様/新見正興ゆかりの墓(品濃町) へのリンク


明治に入り、廃藩置県で神奈川県下となり、大区小区制では平戸・上矢部・名瀬・秋葉・前山田・後山田・品濃が第17大区第四小区とされ、連合戸長は前山田の蓮久寺におかれていたそうです。

しかしこの制度はそれまでのやり方と乖離していたため不評であり、明治11年(1878年)7月に郡区町村編成法が施行され、前山田・後山田・品濃・平戸・柏尾・舞岡は神奈川県鎌倉郡川上村となりました。川上とは、柏尾川の上流にあたるからとされ、実際に中川村も存在(現秋葉町はこの中川村)していました。

明治9年(1876年)当時の現在の前田町地域の人口は、
前山田村 総計二十二戸 百六人 (寄留含む)
後山田村 総計三十八戸 二百十八人 であったということです。 

明治15年測量の陸軍迅速測量図(2万分の1)を見ると、現在の前田町地域はほぼ前山田にあたり、後山田は、主に川上町と前田町の一部を含む地域にあたるようです。

明治20年(1887年)7月には、東海道線の横浜〜国府津間が開業し、町内を鉄道が走るようになります。

昭和14年(1939年)4月、鎌倉郡の北部一町七ヵ村(戸塚・瀬谷・中川・中和田・川上・大正・本郷・豊田)が鎌倉郡から横浜市に編入され、これ以降横浜市となっています。この編入の際、前山田の区域全部と後山田の内、字原田及び田中の一部を当町区域とし、旧村名をとって前田町と改称したとされています。前山田村を短縮して前田町にしたのかもしれません。

昭和21年作成の地形図「仮製三千分一地形図第三十八号「川上」」では、川上町の中に、字として「後山田」が記載されています。

横浜市三千分の一地形図 へのリンク

昭和35年(1960年) 大昌電気(現大昌電工)横浜工場進出(竣工は翌年)

昭和36年(1961年) 小糸製作所横浜工場進出(竣工は翌年4月)

昭和40年(1965年)1月1日 アミノ飼料工業(株)の中央研究所を味の素(株)が吸収し、味の素中央研究所戸塚分室として編入(昭和45年9月には生物科学研究部に改組)。

昭和42年(1967年)4月 小糸製作所横浜工場を小糸工業に移管。以降小糸工業本社所在地となる

昭和52年(1977年)3月 市公社 前田ハイツ 440戸完成

昭和55年(1980年)10月1日 東戸塚駅開業 総工費27億円


町内の文化財について

 日枝神社
 祭神は大山昨命(おおやまくいのみこと)。当地の開拓に従った人々が相談し、地相を見て天元元年(842年)創建したと伝えている。その後人々の暮らしも豊かとなり、月々の神事を怠らなかった。文明十八年(1486年)および文久三年(1862年)の両度にわたり改築のことがあり、超えて昭和二十一年八月社名の日枝社を日枝神社と改めた。なお往昔は山王様とも日枝大神とも称したという。


 蓮久寺
 本能山と号し、身延山久遠寺の末寺で、本尊には大曼荼羅を安置し、永仁三年(1295年)最上院日宗が草創したと伝えているが、「相模風土記」に「開山日厳、慶長十年2月十日寂」と記しているところによりすれば、日厳は中興開山であったかもしれない。


参考文献
  神奈川県図書館協会郷土資料編集委員会編 平成3年 
        「神奈川県皇国地誌相模国鎌倉郡村誌」 神奈川県図書館協会
  大橋俊雄著 昭和56年 「戸塚区の歴史(下巻)」 戸塚区観光協会
  戸塚区郷土史編纂委員会編 昭和43年 「戸塚区郷土史」 戸塚区観光協会
  戸塚区史刊行委員会 平成3年 「戸塚区史」 
  横浜市市民局編 平成8年  「横浜の町名」 
  味の素株式会社編 平成2年 「味をたがやす−味の素八十年史−」 味の素株式会社

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